微分


まとめ

微分の本質とは

微分の本質とは何かという問いは、実は結構難しい。

関数とは、独立変数xxに対して、従属変数yyを対応させる「装置」である。関数のグラフとは、無数にある数の組の中から、特定の組(x,y)(x,y)を選び出すものであり、したがってそれが関数の全情報を有する。

曲面とは、空間の中で特定の数の組(x,y,z)(x,y,z)を選び出すものである。そして特に、平面、つまり平坦であるという幾何学的な特性は、これらの数の組がax+by+cz=0ax+by+cz=0という線形結合によって結ばれることとして、代数的に表現することができる。

独立変数xxの微小な変化dxdxに対して、従属変数も微小に変化するはずで、それをdydyとおく。関数のグラフが、任意の一点を固定して拡大することで直線に近づいてゆくという観察から、dy=adxdy=adxという関係が成立することが期待される。ただし等号が厳密に成立するためには、dxdx,dydyが無限小である必要がある。

関数のグラフがある一点を中心に拡大すると直線になるということは、その点を原点とした新しい座標系(X,Y)(X,Y)を取り直すと、その座標系において当該関数は直線で表されるということだ。つまり、直線は代数的にはaX+bY=0aX+bY=0を満たす座標値の組として表現される。この座標系の座標値XXは元の座標系から見れば二つの座標値の差を取っているものであるから、adx+bdy=0adx+bdy=0が成立するということになる。繰り返しになるが、関数のグラフが実際に直線になるわけではなく、あくまで直線による近似に過ぎない。しかし、拡大が無限に行われたと考えれば等号が成立する。

関数が局所的には線形関数で近似ができるということと、関数のグラフが局所的には平面(あるいは高次元も含めて超平面)で近似が出来るということとは、同じことを異なる視点で眺めている。

この「同じこと」とは何かといえば、それは「変化は局所的には直線的である」ということだ。ただし変化が「直線的」であるというは少し曖昧で、実際には線形であると言った方が良い。残念ながら我々の日常的な述語の中に、変化の様態を適切に表現するものが存在しないので、ここはどうしても専門的な述語を使わざるを得ない。

直線的な変化を代数的に表現すれば、それは線形結合であり、幾何学的に表現すれば、超平面による近似ということになる。これは微分という概念が成立するための大前提である。

しかしなぜ、変化が局所的に直線的になるということが、これほど普遍的であるのか。実は数学的には、普遍的ではない。実際、微分可能な関数より微分不可能な関数の方が圧倒的に多い。つまり我々は数少ない微分可能な関数を選んで使っているということになる。

ではなぜ、物理学で用いられる関数、つまり自然を表現している関数は微分可能なのか? それは自然の性質というよりも、人間の認識能力に明確な下限があることに由来していると考えられる。

例えばある複雑な曲線があったとして、我々はそれを拡大すると直線だと認識する。しかし実際には、拡大した曲線には細かい凸凹がある。それでも我々はそれを粗視化して、直線だと認識してしまう。もしわれわれの認識能力に下限が無く、無限に物事を拡大して認識できるのであれば、至る所微分不可能な関数という概念が直感的に理解できただろう。

多様体における方向という概念の定式化

多様体は局所的に数空間とみなせる空間のことである。したがって、多様体上で定義された関数は、局所座標系を用いれば普通の関数として表示できる。そうなれば、この関数はこれまでの意味で微分を考えることが出来る。

しかし問題は、この微分、あるいはdy=Adxdy=Adxを満たす行列は導入した座標系に依存して決まるということである。そこで座標系に依存しない微分の定義を行いたい。

そのためにはまず、dxdxdydyという概念を座標系に依存しない形式で定義する必要がある。dxdxというのは、元々の意味は無限小近接した二点の座標値の差分である。しかし、座標値の差分というのは当然ながら導入する座標系に依存する。では、その見た目ではなく、機能に注目してみよう。つまり、我々はなぜdxdxという量を必要としたのか?

それはある方向へ独立変数xxを動かすためである。関数を微分するという行為は、多様体上で自分がいる点PPから、ある方向へ動いて無限小近接点QQへ至った時、関数ffがどれだけ変化するのかを見ているのだ。必要なのは点PPにおける方向という概念であって、それを座標系を導入して間接的に表現すると座標値の差分dxdxになるという順番である。

したがって、多様体上の点において方向の概念を座標系に依存せず定義出来ないかと考える。

もっとも直感的に分かりやすいのは、点PPを通過する全ての曲線の同値類を考えるという手段である。曲線があれば、それに「乗って」移動するということを考えられる。つまり、PPを通過する全ての曲線を考えれば、それがPPから進むことのできる全ての方向を網羅しているはずである。

しかし、二つの曲線の内で点PPでは方向を同一にしているが、そこから分岐するということは当然あるだろう。だから単に直線一つ一つに方向という役割を与えるわけにはいかない。そこで、点PPにおいて曲線を局所座標表示して、方向微分が一致することを同値関係とする。そしてこの同値関係に対する同値類を方向と定めるのである。しかしこれは、同じ方向を共有するということを、一つの座標系に依存して考えていることになる。したがって、この同値関係がwell-definedであることを確認する必要がある。

つまり、本質的には、多様体における方向を定義するために局所座標系を用いていることになる。実際、それでも問題はない。なぜなら同値関係がwell-definedであるから、局所座標系は具体的な表示のために選ばれたものに過ぎず、座標系に依存しない方向という概念が確かに存在することが確認されるからだ。

しかし、さらに潔癖に、全く局所座標系を用いることなく方向を定義する方法もある。それは方向微分を直接ではなく、間接的、抽象的に定義する方法である。

いずれにせよ、方向というものをその方向への微分として見出しているというのは興味深い。方向というものを直接定義するのではなく、「ある方向へ微分するということ」を通して間接的に方向を定義しているわけだ。ではなぜ微分なのか。

方向というのは移動という概念と深く関係している。ある方向への移動した結果と、別の方向への移動の結果が異なるということで、方向という概念が規定される。しかし、球面や一般の曲面を例に考えれば分かるように、純粋に方向という概念を表現するためには、有限の移動では不十分で、無限小の移動を考える必要がある。数空間は、有限の移動によって方向を規定することのできる特異な空間という位置づけになる。

無限小の移動という概念は直感的には分かりやすいが、数学においてそれを裸で扱うことは出来ない。無限小近接した点という概念が、論理的には破綻していることからもそれは明らかである。

ここで、移動の結果を見る代わりに、関数の微分を見る。つまり、独立変数が無限小dxdxだけ変化した時に、従属変数がどれだけ変化するかを見るのだ。無限小移動の結果が方向によって異なることは、無限小移動の結果得られる従属変数の変化dydyが異なることで観測できる。ただし、関数によってはたまたま異なる方向間でdydyが一致するということはありえる。そこで、dxdxに対して考えうるあらゆる関数についてdydyの結果を記録する。それはつまり、方向微分という演算子を用意することに他ならない。方向微分とは、dxdxに対してあらゆる関数のdydyを返す装置と考えることができるからだ。こうすることで、方向という概念を規定するのだ。

もちろん、関数の微分の代わりに、ほかの何かを用いて方向を規定することも出来るだろう。しかし、方向を方向微分によって規定することは、我々が多様体において微分という概念を定義するというゴールにとって、非常に都合が良い。実際、多様体間の写像の微分の定義は、方向を方向微分として定義しておくと簡潔にdf(v)=v(f)df(v)=v(f)と表現できる。

こうして我々は、多様体上で無限小変位dxdxを考える代わりに、方向微分という有限の対象を扱うことが可能となった。

接ベクトル空間

微分は無限小変化に関する関係として代数的に表現できた。つまり、微分というのは独立変数の無限小変化dx1,dx2,,dxddx_1, dx_2,\dots, dx_dに対して、従属変数の無限小変化がその線形結合dy=c1dx1+c2dx2++cddxddy=c_1 dx_1 + c_2 dx_2 + \cdots + c_d dx_dで与えられるということだ。

しかし、我々は既に無限小変位を考える代わりに方向微分を扱うことが出来るようになっている。これで、無限小という概念を裸で使う必要がなくなった。つまり、微分というのは、多様体上の各点における方向微分全体の集合上で定義されるべきだということだ。ある無限小変化を表す方向微分vvが、微分dfdfによって、別の方向微分df(v)df(v)になるという具合である。

だが、まだ大事な点が残されている。このままだと微分写像dfdfの線形性が表現されていない。微分において重要だったのは、二つの無限小変化dxdx,dydyの間の関係が、線形結合で表現されるということであった。それは単に無限小変化に無限小変化が対応しているということ以上の要求である。(でなければ、それは単に関数が連続であるということに過ぎない。)

写像の線形性を表現するためには、線形構造があればよい。(というか逆に、線形性、線形結合の性質を抽象的に表現するためにベクトル空間の構造があると考えられる。)

では、どんな線形構造を定義するべきだろうか。もっと言えば、二つの方向微分の和u+vu+vとは一体何だろうか?

最初に立ち返って考える。今和が定義されたとして、関数ffに対する方向微分w=u+vw=u+vの意味を考えてみよう。これを無限小変位と考えると、dw=du+dvdw=du+dvであるが、これは単に二つの無限小変化を加えて、新しい無限小変位を作ったことになる。無限小を足しても無限小であるのは直感的に受け入れることにしよう。

すると、

dy=c1dw1+c2dw2++cddwd=c1(du1+dv1)+c2(du2+dv2)++cd(dud+dvd)=(c1du1+c2du2++cddud)+(c1dv1+c2dv2++cddvd)\begin{aligned} dy&=c_1 dw_1 + c_2 dw_2 + \cdots + c_d dw_d \\ &=c_1 (du_1 + dv_1) + c_2 (du_2 + dv_2) + \cdots + c_d(du_d + dv_d) \\ &= (c_1 du_1 + c_2 du_2 + \cdots + c_d du_d) + (c_1 dv_1 + c_2 dv_2 + \cdots + c_d dv_d) \end{aligned}

となるので、方向微分の和は値の和として考えてよいことになる。

ここで重要な点は、二つの無限小変位の和が新しい無限小変位であり、それは各成分の和であると仮定した点である。これは当たり前のように思えるが、これを前提とすると方向微分の和が決定されるのである。この性質は、多様体が局所的には数空間と見なせることの反映である。もし、変位が有限であれば、和を成分の和として考えることなどできないし、多様体でなければ、無限小変位を考えたところで、和が成分の和となることは保証されていない。

多様体は各点では局所的に数空間と見なせるので、そこには数空間としてのベクトル空間の構造がある。無限小変位を考えることで、その構造を抜き出すことが出来る。そして無限小変位を有限の方向微分として規定しているため、方向微分全体に局所的な数空間のベクトル空間としての構造が引き継がれるわけである。

こうしてベクトル空間の構造が入れられた方向微分全体のことを接ベクトル空間と言うわけである。

接ベクトル空間のこの作り方を振り返ると分かるように、それは無限小変位が持つ構造のコピーである。無限小という概念を裸では使えないことへの回答となっている。我々は無限小を使う上で、本当に重要なのは無限小変位の間に成立する構造なのだ。だから、裸で無限小を取り扱うのをやめて、無限小変位の間に成立する構造がそのまま成立するような有限の存在=方向微分を用いることにしたのだ。イメージとしては、無限小近傍を無限に引き延ばして有限のベクトル空間にしたという感じだ。

微分の定義

接ベクトル空間の概念が定義されたので、微分を接ベクトル空間上で定義された線型写像であると定義が出来る。しかし、それだけでは元の写像との関係が不明である。極端に言えば、元の写像と全く無関係な線型写像を用意しても良いことになる。そこで、元の写像ffとの関係を規定するのが、以下の定義式である:

df(v)=v(f)df(v)=v(f)

この式の左辺は、vvという方向微分=無限小変位が、ffの微分dfdfによってどんな無限小変位に移されるかを表している。言うなれば、これはffdxdxという無限小変位に対して、値がどれだけ変化するのかである。これはvvという方向微分がffに作用した値に等しい。なぜならそれがvvの定義だからである。vvを方向微分は、まさに「ffdxdxという無限小変位に対して、値がどれだけ変化するのか」という値を与える装置として定義されていた。したがってそれはv(f)v(f)である。というわけで、この微分の定義式の意味が明らかになった。

微分は、無限小量の間に成立する線形結合dy=c1dx1+c2dx2++cddxddy=c_1 dx_1 + c_2 dx_2 + \cdots + c_d dx_dとして表現される。無限小量を裸で取り扱うのを避けるため、また、座標系に依存しない表現方法を取るために、まず接ベクトル空間を作り上げた。普通の数空間においては、標準的な座標系が存在するために、わざわざ座標系に依存しない形式を作る必要が無かった。また、接ベクトル空間は元の数空間と同一視できるため、概念的に分ける必要も無かった。方向とは単に数ベクトルで表現されるものであり、またそれは自由に平行移動して使うことができた。

線形結合dy=c1dx1+c2dx2++cddxddy=c_1 dx_1 + c_2 dx_2 + \cdots + c_d dx_dは、無限小量を成分とする無限小変位ベクトルの間の線形関係と解釈できる。線形結合で定義される写像全体は、ベクトル空間上の線形写像全体と一致する。写像を線形結合として与えるのと、ベクトル空間の構造を与えて線形写像と規定するのとは同じことである。重要な違いは、線形結合として与える方法は、成分表示が前提だという点である。線型写像は成分表示が前提でなくても定義できる代わりに、ベクトル空間の構造が必要である。方向微分全体の空間をそのままで終わらせずにベクトル空間の構造を入れるのは、微分を線型写像として規定するためであると言える。そして、線型写像の本心は、成分の線形結合で表現できるという所にある。さらに最初に見たように、線形結合は直線性の代数的な表現であった。

「無限小変位ベクトル」と述べたが、単に線形結合によって微分を表現する場合、あえてベクトルと呼ぶ必要はなく、単に無限小量を並べた数の組と考えても良い。問題は成分表示を前提としない場合であり、それがまさに多様体における座標系に依存しない形式による記述と関係してくる。方向微分全体にわざわざベクトル空間としての構造を与えたのは、線形写像として座標に依存せずに微分を規定するためであった。

今、無限小変位ベクトルが作るベクトル空間をVVとしよう。我々が作った接ベクトル空間VVと、何らかの線形同形写像ϕ\phiで結ばれている。微分の定義域と値域にあるベクトル空間をV̂\hat{V},Ŵ\hat{W}としよう。V̂\hat{V},Ŵ\hat{W}の間にあるのが微分写像df̂d\hat{f}である。V̂\hat{V},Ŵ\hat{W}をそれぞれ有限の接ベクトル空間VV,WWへ構造だけ写し取る線形同形写像をそれぞれϕ\phi,ψ\psiとすれば、VV,WWの間の線型写像dfdfをこれらの合成写像としてdf=ϕ1df̂ψdf=\phi^{-1} \circ d\hat{f} \circ \psiと定義することが出来る。そこまで数学的体裁を整えなくても、線形結合を無限小ベクトル空間の間の線形写像と見切ってしまえば、その構造を抜き出すべき接ベクトル空間に対して、微分dfdfが線形写像であるべきというのは見やすい。


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最終更新: 2026-08-17