光速度不変の原理は歴史的には相対性理論建設のために役立ったわけだが、相対性理論を概念的に整理する上で、その役割を考え直す必要があると思われる。相対論を建設する上で、光という物理現象の性質が基本となるのはあまりしっくりこない。光速度不変の原理は光についての性質である。しかしこの性質がある故に、ローレンツ変換が生まれて、時空概念、ひいては時空の計量まで話が発展する。
不思議なのは、光が持つ性質から時空というあらゆる物理現象を内包する「背景」の性質に言及がなされるという点だ。論理的な順序としては逆であるべきだ。つまり、時空の性質が先にあって、光速度不変の原理はその時空の性質に光という物理現象が従った結果であると。
では、その時空の性質とは何だろうか? 例えば、ある高度に発展した文明を考えてみよう。彼らは高速で航行する宇宙船を建設し、宇宙を股にかけている。より速い宇宙船を建造することが、彼らにとっては生命線となる。しかし、やがて彼らは気が付くのである、どんな工夫をした宇宙船であっても、速度が頭打ちになるということに。そこで彼らは時空のある性質に気が付く。すなわち、この宇宙にはある制限速度があるということだ。
速度というのは、空間と時間が為すパターンである。あらゆる宇宙船建設の試みが失敗するということは、それは宇宙船建設の技術的な問題なのではなく、空間と時間が最初から備えている性質なのだと考えられる。速度というのはどうしても物体が移動するというイメージが付きまとうが、実際には物体に制限されない。この宇宙の空間と時間が制限を課しているのである。
だからこれを、より抽象的に「情報伝達速度限界の原理」とでも述べた方が良いかもしれない。ある時刻にある地点で生じた事象に関する情報の伝達は、距離を定めれば時間が、時間を定めれば距離が制限される。
光という電磁気学現象は、たまたまこの情報伝達の限界速度で伝播する。人類文明はたまたま電磁気現象が観測できたので、そこから時空の真理に到達できた。しかし光も、時空の性質に従っているに過ぎない。
当然ながらこの原理は、古典力学では説明できない。ニュートン力学では、一定の力を作用させれば、物体の速度は際限なく上昇する。時空の性質のどこにも、速度上限を課すようなものはない。したがって、空間と時間が情報伝達速度に限界を課すような、新しい時空概念を考える必要がある。そして、そのような時空概念を基盤として、力学と電磁気学を再構成する必要があるわけだ。
慣性座標系とは、物理法則が最も単純に表現できる座標系である。より論理的に厳密にいえば、我々が物理法則と思っているものが、そのままの形で再現される座標系である。
慣性座標系とは何かを考える時、常に循環論法に陥る危険がある。例えば自由粒子が直線として記録される座標系として慣性系を定義したとする。この時、自由粒子が問題になる。自由粒子であることをどうやって決めるか? それは慣性座標系で等速直線運動するもののことだ? では慣性座標系とは何か。それは自由粒子が……という具合だ。
慣性座標系を物理法則の記述において便利な道具と考えるのが一番収まりが良いと思われる。我々が「物理法則はこういう形式で表現される」と思っているものが、実際にその形で成立する座標系。もしその形式がずれるのであれば、それは設定した座標系自身の設定方法の影響ということになる。
あるいは簡潔に、物理法則が最も単純に表現できる座標系と言ってもいいだろう。しかしこの場合は、単純に表現できるということの意味が無定義である。これは単に慣性系定義の困難を先送りしているに過ぎない。とはいえ標語としては便利なものだ。
座標系に依存する複雑性を排除して、最も単純な形で物理現象を観測できる座標系が慣性系なのだ。
そのような特権的な座標系が大域的に存在するかどうかという問いは重要である。特殊相対論は存在すると仮定した理論である。一方で一般相対性理論は局所的にしか存在しないと仮定する。特殊相対論の枠組みで言えば、仮定として大域的な慣性系が存在するのだから、それを土台にして議論を進めるのは自然である。
もちろん、最初から一般の座標系を使って議論することも出来る。多様体論で座標系に依存しない形式を用いれば、数学的には何の問題もなく議論が展開できる。しかし、それでは理由が分からなくなる。最初から四次元多様体を定義して、自由粒子のラグランジアンを天下り的に定義すれば理論としては整合的になるが、なぜそれらが生まれたのかを知ることが出来ない。
慣性座標系は座標系に依存しない理論では、単にある特殊な座標系に過ぎない。しかしそれは、相対論が構築されてゆく上で、発見法的に重要な地位を占めてきたのである。ここでやろうとしているのは、相対論を理由が理解できる形で整理することだから、慣性座標系の使用は避けられないと考える。
既に述べた情報伝達速度限界の原理も、時間や空間の目盛りをめちゃくちゃに設定した座標系では成立しない。しかしそれは原理が破綻しているということではなく、原理の言明に座標系設定からの影響を考慮してないということに過ぎない。
任意の慣性座標系に対して、情報伝達速度の限界値が一定値を取る、というのは実験結果として受け入れることとする。あるいはこれまで知られている実験結果から、そのような仮定を置くのが妥当だと考えられたのだと言ってもいいだろう。
ローレンツ変換は慣性座標系間の座標変換である。しかし、なぜ単なる座標変換がこれほどもてはやされるのだろうか。それは、物理法則を見つけるうえでローレンツ変換不変性が非常に重要な手掛かりになるからである。
物理法則を座標系に依存しない形式で記述することはできる。多様体という数学的な道具が整備されている。しかし、座標系に依存しない形式のどんな組み合わせが、実際の物理法則かについて、何の手掛かりもない。座標系に依存しない無数の形式が存在するが、その中からどうやって物理法則を選別すればよいのか。
その具体的な方法がローレンツ変換不変性である。
例えば座標系に依存しないある一つの形式を考える。この形式は、一つの座標系を選べば成分によって具体的に書き下すことが出来る。この具体的な表式は、座標系を変えれば一般に変化する。これがいわゆる共変性の基礎になるわけだが、共変性は物理法則の選別まで踏み込んでくれない。
慣性座標系間で、形式は一般にその具体的表式が変化しうる。それでもは座標系に依存しない形式で定義されていることに変わりはない。定義が座標系に依存しないことと、具体的な座標系における表式がどのように座標変換で変化するかは別のことなのだ。
ローレンツ変換不変性とは、形式の具体的表式がローレンツ変換で不変に保たれるという性質を指す。ローレンツ変換全体をとすれば、それは任意のに対して、を意味する。つまり、座標値がローレンツ変換によって別の座標値に変換されても、表式はその値を全く変えないということである。あるいは、ローレンツ変換で結ばれる二つの座標系において表式を共通して使えると言ってもいい。
これは共変性とは異なる条件である。共変性とは、表式が,のように変化して、その上でが成立することしか含意しない。二つの座標系において表式が異なっても良いのである。
ローレンツ変換不変性というのは、共変性よりも強い条件を課している。表式が不変であれ、ということだ。これは、慣性座標系が、物理法則の観点から区別できないことからの帰結と言える。もし二つの慣性座標系において表式が異なれば、物理法則がより簡単に表現される座標系を選べることになる。しかしそれは慣性座標系が物理法則を最も簡単に表現する座標系であるという定義に反する。
つまり、ローレンツ変換不変性とは慣性座標系が持つ性質の定義そのものと言ってもいい。ローレンツ変換不変性を満たすような座標系のことを、我々は慣性座標系と呼ぶのだと言える。
したがって、ローレンツ変換、つまり慣性座標系間の座標変換が物理法則を発見する上で非常に重要な役割を果たすから、ローレンツ変換がこれほどもてはやされるのである。これは特殊相対性原理の応用である。
一般相対性原理の最も根源的なアイデアは、自然現象は我々がそこにどんな座標系を導入するかに依らず起きるということだ。これは、物理法則の座標系に依存しない形式による記述の強い動機になる。
一方で、特殊相対性原理は慣性系という座標系の特殊なカテゴリーに関して成立するものだ。単に、適用範囲が広い、狭いということではなく、一般相対性原理と特殊相対性原理は質的に異なる。一般相対性原理は座標系に依存しない物理法則の定式化をすべきという話で、物理的な内容を含んでいない。実際、古典力学を座標系に依存しない形式でまとめる、つまり一般相対性原理に適合させることは可能である。一方で、特殊相対性原理は物理的な内容を含む。これは、物理法則と慣性座標系の間の関係についての言明である。
特殊相対性原理:任意の二つの慣性系について、慣性系内で完結する実験によって、自分がどちらの慣性系に属するか判定することはできない。
自分が相手に対して動いているのか、それとも自分が静止していて相手が動いているのかを区別することはできるだろうか? 加速度系を含めれば出来そうである。自分が回転しているのか、それとも世界全体が回転しているのかは区別できるだろう。
一方で、座標系を慣性系に限定すると、これが区別できないというのが特殊相対性原理の主張である。
情報伝達速度の限界値が任意の慣性系で等しいことは、特殊相対性原理から導ける。
情報伝達速度の限界値が慣性系毎に異なる値を取ったとして、何か矛盾が導けるだろうか? 確かに、この仮定の下ではの値を観測することで、自分がどの慣性系にいるのかを知ることが出来る。の値を慣性座標系のラベルとして使えば良いのだ。
互いに相対運動する二つの慣性系1,2について、一方がで他方がという限界値を観測したとしよう。実は自分が慣性系1と2のどちらにいるのかを区別することが出来ない。どちらも自分が静止していて、相手が動いていると主張することが出来る。これが特殊相対性原理の主張であった。となれば、しかない。もしそうでなければ、慣性系が区別できないという特殊相対性原理に反する。
相対性原理とは原理であり、それは実験事実の積み重ねから成り立つことが示唆されることに過ぎない。任意の慣性系でが一定値というのは、相対性原理の傍証ということになる。論理的に一貫した立場を採るならば、相対性原理をまさに原理として最初から仮定することだ。そうすれば、は任意の慣性系で一定値ということになる。
特殊相対性原理が慣性系という特殊な座標系から物理法則がどう見えるか、という言明であることに注意しよう。一般相対性原理の思想から明らかなように、座標系とは観測の手段に過ぎない。それが分かっているにもかかわらず、特殊相対性原理では慣性系という特別な座標系だけを取り出して対象としている。これは、我々が世界をどう観測するかという、我々の利便性のための選択肢を尊重した原理ということだ。つまり「我々からは世界はこう見えている」という立場を精密化したのが特殊相対性原理というわけだ。
特殊相対性原理がその意味で発見法的な重要性を持つことが理解できる。一般相対性原理からは物理的な内容が出てこないが、特殊相対性原理はそこから慣性系へ踏み込んで「物理法則とはこう見えるべきだ」という議論を行っている。これは物理的な内容を含むものであり、物理法則を実際に制限する条件となる。
では、問題の慣性座標系間の座標変換はどうしたら求められるか。
ローレンツ変換の登場で、空間座標と時間座標を一つの座標としてまとめた時空多様体の概念が現れてくる。これは世界線という概念と共に、物理学の幾何学化を推進する。
自由粒子のラグランジアンを決定すると、それによって当然自由粒子の世界線が定まる。自由粒子の運動を、そのようなラグランジアンとして単純に解釈する一方で、これを時空の性質と解釈する方法もある。これは自由粒子がなぜこのようなラグランジアンを持つのかについて、時空構造を理由とする。つまり、時空にミンコフスキー計量が存在し、自由粒子はその計量における測地線であると解釈することができるのだ。
そのような解釈は、実はそこまで必然的ではない。実際、時空に計量があると考えずとも、ラグランジアンによって自由粒子の運動は決定できるからである。この計量によって運動が定まるという考え方、つまり時空の幾何学は、一般相対性理論へ進むとより強い説得力を持つのだが、特殊相対論の時点では、まあそういう解釈も出来るよね、というレベルである。
とはいえ、これは光速度不変の原理を再解釈した際のアイデア、つまり光は単に時空の幾何学に従っているに過ぎないという考え方と非常に整合的である。これによって光の特権性が排除出来て、時空の性質が前面に出てくる。
また、時空において物理的に意味のある量がミンコフスキー計量であり、時間や空間は単独では物理的に意味がないことが分かる。ラグランジアンを単に自由粒子の運動にのみ結びつけるのではなく、それを時空多様体上の計量テンソルとして定義することで、慣性座標系に限らず、任意の座標系において意味を持つことになる。逆に言えば、これは、空間と時間の絶対性が否定され、相対性を持つという非常に重大な結果を含意する。これこそがまさに「相対性」理論の骨子なのであった。
特殊相対性理論とは、時空において物理的に意味を持つのがミンコフスキー計量のみであるという前提で、力学と電磁気学を再構成するという試みと言える。
また、一般相対性理論は、重力場を時空の計量テンソル場として表現する枠組みである。ではなぜ重力場を計量テンソル場として表現するのか。それは重力が持つ普遍性から示唆される。
重力場の影響を受けて運動する粒子のラグランジアンを考える。
等価原理を考えると、重力場は局所的に消すことが出来る。つまり時空の各点において、重力場が存在しないように観測できる座標系が設定できる。その座標系から見れば、重力場の影響を受けて運動している粒子は、自由粒子として振舞うはずである。自由粒子のラグランジアンは既に分かっている。
自由粒子のラグランジアンを一般の座標系から眺める。しかしこれは単に自由粒子のラグランジアンを一般の座標系で複雑に表現したに過ぎない。ここで等価原理が効いてくる。つまり大域的な座標系で、重力場を消し去るようなものは一般に存在しない。だから、ラグランジアンは座標に依存する形式となる。
このラグランジアンは計量テンソルである。特殊相対論で計量が不要だったのは、それが粒子に固有の性質だったからである。しかし重力の普遍性から、これは粒子の性質ではなく時空の性質と解釈するべきだと思われる。したがって、運動する粒子のラグランジアンが特別にこの形式なのではなく、これを時空の計量とみなして、粒子がそれに従って運動していると解釈する。
見つけたのは重力場の影響を受けて運動する粒子のラグランジアンだが、粒子がなぜこのようなラグランジアンで運動するのかという問題への解釈をどうするかという話。特殊相対論では、自由粒子のラグランジアンが見つかったただけで、それを時空の計量と解釈する意味はなかった。しかし、重力場を考えると、重力の普遍性から、粒子のラグランジアンを超えて、それを時空の計量と解釈したほうが見通しが良い、ということになる。なぜ粒子のラグランジアンがこの形になるのかについて、それを背景である時空の計量テンソルの影響であると解釈する。粒子のラグランジアンという考えに留まっていると、それはあくまで個別の粒子についての話ということになる。逆に言えば、粒子が無い状態ではラグランジアンを考える意味がない。
しかし、これを時空の性質とみなせば、粒子が無くてもその計量について語ることには意味があるということになる。
粒子の運動から離れて重力場、つまり計量テンソルを単独で扱えば、その計量テンソルが従うメカニクスを独立で考えられるようになる。つまり、計量テンソルがどう定まるのかという問題。この問題は粒子のラグランジアンからは決まらない。粒子のラグランジアンが教えてくれるのはあくまで計量テンソルによって運動がどう決まるかということで、計量テンソルが何で決まるかは分からない。
ここでの問題意識は、相対性理論の数学的な枠組みと、我々が現実世界で行う測定というプロセスをどう矛盾なく関連付けるかということである。物理理論はこの世界に対する数学的なモデルを提供する。我々は物理現象を様々な方法で測定するが、この測定結果を数学的モデルが適用できるように翻訳する必要がある。一度数学的モデル上へ翻訳が行われると、数学的操作によって何らかの結果が導かれる。この数学的結果を、今度は現実世界の測定結果として翻訳する。そうすることで、数学的モデル、つまり物理理論は現実世界についての予言を行い、また我々はそれを実際の測定結果と比較することで検証することが可能なのである。
我々は、物理理論がどんな数学的モデルを利用するかに関わらず、測定を行うことが可能である。その測定をどう解釈するかが物理理論によって異なるということはありえる。
位置と時刻の測定は力学において最も基本的なものである。位置の測定は、通常以下のように行われる:まず、空間に軸という直交した無限に長い直線を用意する。これらは剛体であり、歪みはない。ある空間の1点に到達するためにそれぞれの軸方向へどれだけ移動したのかを、その点の位置座標という測定値とする。重要なのは、この測定自体が実際に可能であるということである。
相対性理論において、我々が行う測定が、多様体のどの座標近傍に該当するのかという問題がある。実はこれは、数学的には解決できない問題である。これは、現実世界と数学モデルをどう結び付けるかという問題であり、つまり解釈の妥当性を問うているわけである。例えば、ある座標近傍が我々の現実の測定を上手く表現しているという言明は、実際に測定を行わなければ確認できないことであって、数学から何か言えることはない。
例えば慣性座標系という概念を考えてみよう。ある座標系が「本当に」慣性座標系であるかどうか、判断できるだろうか? これはあくまで数学的モデルにおける概念に過ぎない。実際に、物理的に存在するのは慣性座標系とみなせる座標系である。その座標系が本当に慣性系かと問う必要がないのである。慣性系とみなせるか否かは、見なしたうえで数学的モデルが予言する物理的内容が、実際の測定と食い違うかどうかである。食い違うのであれば、その理由は二通り考えられる。1.その座標系は慣性系ではない。2.数学的モデルが間違っている。 さて、この二つの区別にはかなり微妙な問題が潜んでいる。例えばニュートンの運動方程式がある座標系で成立しなかったとしよう。これは、ニュートンの運動方程式が間違っているからなのか、それともその座標系が慣性系でなかったからなのか、どちらだろうか? ニュートンの運動方程式が間違っている可能性もある。数学的モデルというのはあくまで仮説であり、全ての力学現象をカバーするという保証があるわけではない。一方、我々が観測に用いている座標系が慣性系、つまりニュートンの運動方程式が成立する座標系ではなかったという可能性もある。我々が通常想定するいわゆる実験室系は、地球に固定されており、その地球は自転および公転を行っており、さらにそれが含まれる太陽系および銀河系も複雑に運動している。したがって、実験室系が理想的な慣性系ではないと考えるのが適切なはずである。しかし、考えてみると、地球が太陽系に属していて、それが銀河系に属しているというのも一つの数学的モデルに過ぎないわけである。 我々に言えるのは、数学的モデルがどこまで一貫性を保っているかということである。これは数学的モデルの妥当性を判断する一つの軸となる。我々が持っている宇宙の構造についての仮説は、定量的、あるいは少なくとも定性的には、観測される天文現象と一致する。様々な観測結果と一貫して無矛盾な数学的モデルは、それだけ確度が高くなる。ニュートン力学も、少なくとも我々が測定できる範囲内では、物体の運動に関する実際の測定結果と一致した結果を出す。 しかし、高速で運動する物体の運動に関して、ニュートン力学という数学的モデルが測定結果と不整合であるようだ。そこでより一貫した数学的モデルとして相対性理論が考案された。特殊相対論によれば、二つの慣性系間の座標変換がローレンツ変換という、これまで考えられていたものと全く異なる変換となる。
では、どうやって我々の現実の測定結果と相対論における数学的モデルを繋げるか。そこでは慣性座標系が大きな役割を果たす。一般相対論において、時空は局所的に慣性系とみなすことが出来る。そして慣性系においては、特殊相対論が成立する。特殊相対論という数学的モデルを現実の測定結果と結びつけることは簡単である。より具体的な例としては、シュヴァルツシルト時空を考えるのが良い。
「観測者」と良く言われるが、座標系は原点にいる観測者が空間や時間の座標を測っているのではない。空間の各点に校正された時計が並べられていて、例えば粒子がある点を通過した時には、通過した瞬間にその点に置かれていた時計が時刻を記録するのである。つまり、座標系、あるいは観測者というのは、空間の各点に配置された時計という複合的な記録システム全体を指す言葉なのである。